【薬園八幡神社】
奈良時代、平城京の南にあった薬草園に建立されたとみられる。一間社春日造で檜皮葺きの現在の社殿は桃山時代の
再建と伝えられ、要所に極彩色を残し、彫刻や鍍金金具からは独特の華やかさが伝わってくる。
鳥居の横に「国史現在社薬園八幡神社」の石碑が立っている。これは『続日本紀』(巻十七)に、「天平勝宝元年
(747)十一月、於南藥園新宮大甞。以因幡爲由機國。美濃爲須岐國。」とあることによる。
大仏造営の宇佐八幡大神が多いに力を発揮し、宇佐から八幡大神を大和に勧請した。その際、平城京の南、当社の北
約1kmの梨原の薬園新宮内にお迎えした。それが当社の創建の由緒。後に東大寺へ遷座の際、御神霊の分霊は当社
にとどまった。
聖武太上天皇の勅願で、朝廷より奉幣に預かったが、次第に衰え、足利時代末期に当地に遷座した。
同じような伝承は生駒市の高山八幡神社にもある。