【八木が谷城】

15世紀半ば頃、千葉氏一族八木が谷式部小輔胤宣の居城であったいう伝承が長福寺に残されている。
また隣接する民家の屋敷神に妙見尊が祭られていることから、千葉氏にゆかりのある武将の居城であることは確か
と思われる。松戸市平賀の本土寺の「本土寺大過去帳」には、明応8年の項目に、八木ケ谷兵部卿良宗の名前が
あり、戦国時代は高城氏に属したものと思われる。

かつては長福寺境内を取り囲むように土塁があったとおもわれるが、現在は幾つかの土塁が見られるだけである。
山門脇に、高さ2mのL字形土塁がある。東側の民家や北側の民家、南側にある八木が谷市民の森の中にも土塁
や堀と思われるものを見ることができる。山門脇の土塁の外側に空堀跡が残っている。
西側の墓地ははかつて大きな掘りがあったという。堀は三の堀まであったらしい。
比高差があまりない台地平坦部に、要害性を強化した造りが特徴である。