【土浦城】

平安時代、天慶年間(938〜47)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上確かなのは室町時代、永享
年間(1429〜41)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城した
のが最初である。戦国期に入り永正3年(1506年)、若泉五郎左衛門が城主の時、小田氏の部将・菅谷勝貞に
よって城は奪われ、一時、信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。
しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。
その後、度々小田城の奪回に成功するが永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、
元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐して
活躍したが、天正13年(1583年)、ついに小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原の役の際に菅谷範政は北条氏と結んだ為、佐竹氏や徳川家康の軍勢に
攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康
領とし、土浦城を領内の支城とする。秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平氏の松平信一が三万五千石で入封。
その後松平信吉の代に五千石の加増を受ける。
元和3年(1617年)、信吉が上野高崎に転封となって西尾忠永が二万石で入封。
以後、城主は西尾氏・朽木氏と代わり、寛文9年(1669年)、土屋数直が四万五千石で入封。
土屋氏は、天和2年(1682年)、子の土屋政直のとき天和2年(1682年)駿河田中に移ったが、その後土屋・
大河内氏を経て、貞享4年(1676年)土屋政直が再び六万五千石で土浦城主として入封。
その後三度の加増を受けて九万五千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋氏が11代、
約200年間世襲して明治維新に至った。


2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。