【豊田城】

豊田城は垣武平氏一族である豊田氏の居城。
戦国時代には城主・豊田政親は小田城主・小田氏治と同盟して、多賀谷氏に対抗したが、1578年(天正6年)に
家臣の飯見大膳に豊田治親が毒殺され豊田氏は滅亡した。
その後は多賀谷氏の所領となったたが、1600年(慶長5年)の「関ケ原の戦い」において、多賀谷氏は徳川家康の
再三の出陣要請にも応じず、会津征伐に向かう家康の小山本陣へ夜襲をかけようとしたことが露見し、翌年に改易
されるとともに廃城となった。現在城址は小貝川の河川改修と耕地整理によって消滅しており、堤防上に「豊田
城跡」の石碑が建てられているのみ。また、現在建てられている5重7階の模擬天守は「石下町地域交流センター」
で1992年(平成4年)にオープンしたもので、城址とは無関係の位置にある。