【武田神社】
明治維新後には歴史上の「忠臣」に追贈を行うことが行われており、また日露戦争後には神社に軍国守護神を祀らせる
ことが望まれ、軍神と評される武田信玄を祀った神社創建の機運があった。
1915年(大正4年)、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、「武田神社奉建会」が設立
され、1919年(大正8年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた。別格官幣社への
昇格運動は上杉謙信を祀った上杉神社が指定されていたことへの対抗意識も加え、郷土史家は内務省が昇格条件に
求める勤皇事跡の発掘に務めた。
4月12日に行われていた例大祭には神輿の後に地元相川住民による「武田二十四将」を模した騎馬行列が行われており、
1947年(昭和22年)からは甲府市と市商工会議所、観光協会の共同開催で桜祭りが開催され、最終日を例祭に合わせて
いた。
戦後には観光業振興により武田信玄が歴史的観光資源として着目され、1966年(昭和41年)からは甲府信玄祭りが開催
され、以来は行政主導による都市祭礼としての信玄公祭りが4月12日前の土日に開催されており、地域住民による例祭
と共存している。