【武田八幡宮】

甲斐国には石和八幡宮(笛吹市)や窪八幡神社(山梨市)など武田氏により勧請された八幡社が分布しているが、
『甲斐国社記・寺記』によれば、清和天皇の頃に奉幣と社領の寄進が行なわれた後、武田信義が付近に白山城
(韮崎市)を築いて居城とするとともに武田八幡宮を氏神とし、社頭の再建などを行なったという。歴代の甲斐国
司も造営を行なったとされるが、武田信玄が天文10年12月23日に大檀主として嫡子である武田義信とともに再建
したとある。この造営は国主となった晴信の最初の事業でもあった。
永禄3年(1560年)に信玄が国中の諸社に対して甲府の府中八幡宮への参勤を命じた際、武田八幡宮は甲斐国一宮
の一宮浅間神社など10社とともに参勤を免除されている。
天正10年2月19日には、織田信長の武田征伐に際して、武田勝頼の妻・北条夫人が勝頼の武運を祈って願文を
捧げた。この紙本墨書は掛軸に仕立てられ、県指定の文化財となっている。