【高島城】
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、
水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。
城郭の形式は連郭式平城。天守は独立式望楼型3重5階、屋根には陶器製の瓦ではなく檜の薄い板を葺く柿葺という
珍しいものである。
江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。
なお、忠臣蔵で有名な吉良上野介の孫・吉良義周は赤穂浪士討ち入り後に改易となったが、配流となったのがここ、
高島城である。
吉良義周はこの地で病没し、吉良家の嫡流はここ断絶した。
1875年(明治8年)に天守以下建造物は破却もしくは移築され、一時は石垣と堀のみになっていた。
現在は二の丸、三の丸が宅地となり、本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園となっている。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。