【高田城】
新潟県指定文化財。徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。城地の縄張りと工事の
総監督は忠輝の舅である伊達政宗が行った。
上越市発足20周年記念事業として、焼失した三階櫓を1993年に復元した。
*天守はなく、三階櫓を天守の代替とした。
*平城にしては珍しく石垣がない。60万石(一説に75万石)の太守の居城であるにも関わらず石垣を築かなかった
理由は、(1)近郊に石垣の用に耐える良質の石材を産出しなかった、(2)大砲や銃器の発達など攻城法の変化
により土塁の方が防御上有利であると判断された、(3)完工を急いだため石垣工事を省略した、など諸説がある。
なお、明治初年に本丸付近を撮影したとする写真が近年発見されているが、これには石垣が写っている。
また現在、城址公園に「本丸御殿の礎石」として保存されている石材の中には建築物の礎石としては不自然な
大きさ・形状のものが含まれており、これらを根拠として、少なくとも本丸には石垣が築かれたのではないかとの
説もある。
*明治以降、陸軍の駐屯地として使用されたため大規模な土塁の撤去、堀の埋め戻しが行われ、旧城地の東半分は
旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、公園として整備されている。
*陸軍の入城時に3000本を超す桜(染井吉野)が植栽され、現在でも日本三大夜桜のひとつとして知られる。
残された堀には失職した旧士族のための殖産策として蓮根栽培が行われ、現在では外堀の大半が蓮に覆われている。
水質問題などから商品作物としての蓮根栽培は中絶したが、開花時期には見事な景観となり毎年「蓮まつり」が
開催されている。蓮研究の第一人者として知られる東京大学農学部教授、大賀一郎が昭和28年に調査に訪れた際
には、繁殖域の大きさ、好適な育成状況を見て「東洋一の蓮」と呼んだことで有名である。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。