【白石城】
主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、家老片倉家が代々居住した。九州の肥後八代城などと並んで、
江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。三階櫓など本丸の一部は1995年に木造で復元
されて現在は公園となっている。別名、益岡城。現存する建物としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門
が市内当信寺山門に、どこの門か定かではないが城門が名取市の耕徳寺山門に、煙硝蔵が市内の個人宅に、それ
ぞれ移築されている。
*鎌倉時代以後 - 白石氏が居住。同氏は後に伊達氏家臣となる(伊達政宗に仕えた白石宗実が著名)。
*1591年 - 会津に封された蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成によって本格的に築城。
*1598年 - 会津に封された上杉景勝の家臣・甘糟景継によって修築。
*1600年 - 再び伊達領になり、石川昭光が城代として入る。
*1602年 - 片倉景綱(小十郎)が城主となる。
*1819年 - 火災で焼失する。4年後再建される。
*1868年 - 東北諸藩の代表が白石城で会議を開き、奥羽越列藩同盟が締結される。
*1869年 - 新政府軍が占領、新政府に降った盛岡藩の管理下に置かれて、一時移封される(白石藩)。
*1875年 - 白石城破却、売却代金は特に片倉家中の北海道移住費用に充てられる。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。