【島原城】

有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城。高く頑丈な石垣が特徴である。
本丸は周囲を水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させる
事が出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも
言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5層5階(初層の
屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の島原藩は4万石であったが、石高に比べると極めて
立派な城である。
1876年(明治9年)に天守・御殿以下建造物は悉く破脚された。現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡
公園となっている。

★歴史★
○1616年(元和2年)、有馬直純が日向・延岡藩に転封になり、代わって築城の名手と言われた松倉重政が有馬氏
 の居城であった日野江城に入城する。
○元和4年(1618年)日野江城は手狭であったので島原城の築城を開始する。
○1624年(寛永元年)、島原城完成。
○1637年〜1638年(寛永14年〜15年)、初代・重政、2代・松倉勝家の圧政により「島原の乱」が起こる。
  勝家は領内を騒乱に導いた責により斬首。松倉氏は改易となる。
○寛永15年、高力忠房が4万石で入封。以後、譜代大名が4家入れ替わる。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。