【新発田城】

=== 近代以前 ===

最初に城が築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田
氏による築城と考えられている。代々新発田氏の居城となっていたが、1581年(天正9年)、新発田重家が
上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。1587年(天正15年)、景勝により新発田城は落城。
新発田氏は滅亡した。
その後上杉氏の会津転封に伴い、1597年(慶長2年)、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。
新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていった。
城が完全な形となったのは1654年(承応3年)頃、3代溝口宣直の時代といわれる。
その後1668年(寛文8年)、1719年(享保4年)に火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に
再建されている。

=== 近現代 ===

* 1873年(明治6年)に明治政府より発布された廃城令により、表門・二の丸隅櫓と石垣のみを残し、城内の
 建物は三階櫓など大半が破却され、明治政府に接収された城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれた。

* 長年に渡って城郭の復元を住民等に望まれ、近年より、明治初頭に撮影された古写真などを資料として考証・
 設計された在来の伝統的手法による復元の計画が進められ、2004年(平成16年)に三階櫓と辰巳櫓が復元され、
 辰巳櫓のみ、同年7月から一般公開されている。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。