【仙台城】
慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り、伊達家62万石の居城であり、
仙台藩の政庁であった。国指定史跡。
関が原の合戦後、伊達政宗が幕府の許可を得て、青葉山に築城した。
なお、幕府に遠慮して天守閣は築かなかった。(ただし、天守台は存在する)
幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、
一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えて、その後は明治初期から大正にかけてその大半が失われた。
数少ない遺構であった大手門、隅櫓、巽門は国宝の指定を受けていたが、太平洋戦争の空襲による戦火に
見舞われ焼失した。
現在では、宮城県知事公舎正門の建築に転用された寅の門の部材が残るのみである。
青葉山に位置する事から、青葉城(あおばじょう)という雅称を持つが、一般的に青葉城と呼ばれる事が多い。
これは仙台城ができてから生まれた地名で、山と城のどちらが先に「青葉」の名を得たか不明である。青葉山は、
仙台七崎の一つ「青葉ヶ崎」に由来する。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。