【積翠寺】
積翠寺は臨済宗、行基を開山とし、夢窓疎石の弟子竺峰を中興開山とする。元は石水寺といった。
大永元年(1521)11月3日、この寺で信玄が生まれたという。当時、駿河の今川氏親(うじちか、義元の父)の
部将福島正成が甲斐に侵入し、飯田河原で武田軍と激戦を展開していた。そこで武田信虎の正室大井夫人は躑躅ヶ崎
館から要害城へ避難しようとしたが、山は険しく身重では登れないため、引き返してこの積翠寺で出産したという。
なお、境内には信玄が生まれた時に産湯に使用したという井戸が今でも残されている。
天文15年(1546)、武田晴信(信玄)は、京都から公家の三条実澄(さねずみ)と四辻季遠(すえとお)をこの寺
に迎えてもてなし、「和漢連句帳」を残している。当時進めていた信濃攻略を朝廷の権威で容易にする為だったらしい。
このとき晴信は信濃で100貫文の地を御料に献上することを約した。