【真田神社】

上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。
しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していた。
松平家は、真田氏、仙石氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで七代百六十余年の長きにわたる上田城主
だった。松平家は先祖を徳川将軍家と同じくする松平氏の一つで、藤井松平氏と呼ばれている。
上田城主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。
寛文九年(1669年)に亡くなった忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にある。
その京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられており、この御社が当社の起源となる。