【岡崎城】

<歴史・沿革>
【1452年】
龍頭山の砦として三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城。
【1531年】
松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げたが家臣の謀反により命を落とす。
(守山崩れ)
【1542年】
城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。当時、櫓や門の屋根も茅葺で、当地は石の産地ながら石垣なども
なく、ただ堀を掘ったその土をかきあげて、芝を植えただけの土塁がめぐっていた。
【1549年】
松平広忠が家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は今川家の支城として城代が置かれた。
【1560年】
桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は岡崎城を取り戻し、今川家から独立
する。
【1570年】
徳川家康は本拠を浜松城に移し、岡崎城は子の松平信康が入った。
しかし、信康は謀反の疑いをかけられて自刃。以後、重臣の石川数正、本多重次らが城代を務めた。
【1590年】
家康が関東に移封となると、豊臣家臣・田中吉政が入る。家康に対する抑えの拠点の一つとして、吉政は城を
拡張し、強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。
また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し、
「岡崎の二十七曲がり」といわれるクランク状の道に整備され、現在の岡崎城の原型を造った。
【1602年】
徳川氏譜代の重臣である本多康重が上野国白井藩より5万石で入城。以降、江戸幕府下では家康誕生の城として
重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めている。
【1617年】
3重の天守が完成する。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。