【松本城】

戦国時代、信濃国中部を治めていた甲斐源氏の小笠原氏が永正元年(1504年)に深志城を築城したのが始まりと
いわれている。
後に同じ甲斐源氏である武田氏の侵攻を受け武田氏の支配下となり、武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川
家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し本城とした。
豊臣秀吉が徳川家康を関東に封じた後は、天正18年(1560年)に石川数正が入城し、石川数正とその子石川康長が、
天守を始め、城郭、城下町の整備を行う。
江戸時代は、松平康長や水野氏などの松本藩の居城として機能。
水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
明治維新後、1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者
の尽力によって買いもどされて難を逃れる。明治30年代ころより天守が大きく傾き、1903年(明治36年)より1913年
(大正2年)まで明治の大修理がおこなわれた。
1930年(昭和5年)、国の史跡に指定された。
1936年(昭和11年)4月20日には天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により、当時の国宝
に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されている。


2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。