【甲府城】

甲府城が築城された地は、甲斐武田氏の一族、一条忠頼が築いた居館があった地であり、忠頼の死後館は夫人が
その菩提を弔うために開いた尼寺となった。
天正10年(1582年)に甲斐国は徳川家康の所領となり、翌天正11年に家康が平岩親吉に命じて築城を開始した。
しかし、完成前に甲斐は家康から羽柴秀勝の有する所となり、さらに加藤光泰、浅野長政・浅野幸長父子と領主が
代わり浅野父子の頃に完成したとされている。
甲府城の清水曲輪は現在JR東日本中央本線・甲府駅となっている。豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸
時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。天守台はあるが天守があったかどうかは不明。
浅野長政父子の時代に天守があったとする説がある。1873年の廃城時の破壊により現在は天守台、本丸・天守
曲輪・稲荷曲輪・鍛冶曲輪の石垣、堀の一部のみが残っている。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。