【岸和田城】
建武元年(1334年)前後に、和田高家が現在の岸和田城跡から約500m東(野田町1丁目周辺)に岸和田古城を
築城。「岸の城」とも言われた。その後『日本城郭大系』によると信濃泰義によって現在地に移築
されたとしている。羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、小出
秀政が5重天守を上げる本格的な構えとした。松平康重の代に総構えと城下が整備され、岡部宣勝の頃、城の
東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されている。文政10年(1827年)に天守を焼失。
以降再建されないまま、明治4年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却された。
岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く
器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。
城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結びの神社として知られている。桜の季節は花見の名所と
なる。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された。