【衣笠城】
永承6年(1051年)から康平5年(1062年)にかけての前九年の役での戦功により源頼義から相模国三浦に領地を
与えられ、当地の三浦氏の祖となったとされる三浦平大夫為通が、康平5年(1062年)、衣笠山山麓に作った居館
が衣笠城の始まりである。のちにこの城は三浦氏の本拠地となり、三浦氏が勢力拡大するにあたって増築されて
いく。
治承4年(1180年)、源頼朝が伊豆で打倒平家を掲げて挙兵すると、三浦氏4代目三浦義明は頼朝を支援したが、
頼朝は石橋山の戦いで敗れ房総半島へ逃げ延びる。頼朝軍と合流できずに引き返した三浦一族は平家方の畠山重忠
軍と衣笠城合戦に及び、衣笠城は落城。城主義明は討ち死にし、三浦一族は房総半島に逃れる。
その後鎌倉幕府が成立するとこの城はまた三浦氏の本拠となるが、鎌倉時代の宝治元年(1247年)、宝治合戦で
三浦党が没落すると廃城となった。