【川越城】

武蔵野台地の北東端に位置する平山城。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存する。
(埼玉県有形文化財)。
二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館となっている。三の丸跡地である埼玉県立川越高等学校の近くに
小高い富士見櫓跡があり御嶽神社と浅間神社が建っている。川越城には天守閣はなく、宇都宮城・清明台櫓と
同様に城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりをしていた。
富士見櫓は三層と考えられている。
中世から近世にかけて改築がなされ規模を大きく変えた。
藩政時代には、酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など幕府の要職についた歴代
藩主が多く(幕閣の老中数7名は全国でも最多の藩の1つ)、特に江戸時代中期までは「老中の居城」であった
(中期以降は「親藩」)。

●別名
* 初雁城
城内の三芳野神社に「初雁の杉」があった。毎年同じ時期に北から初雁が飛来し杉の真上で三声鳴き三度回って
南に飛び去った、という故事による。太田道灌が川越城築城祝いで開いた宴の折も初雁が来て鳴いたことから
道灌が「初雁城」と命名した、という。3代目の初雁の杉が神社の社殿裏にある。
* 霧隠城
城内に「霧吹きの井戸」という井戸があり、普段は蓋をしておくが危急の際は蓋を開くと霧が城を隠した、と
いう伝承による。井戸は現存し、移築され市立博物館の前庭にある。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。