【金沢城】
金沢城は江戸時代に幕藩体制化最大の大名、前田氏(102万石)の居城として栄えた。
前田氏は御三家に次ぐ家柄として定められ、一度も転封や改易に会うことなく、明治維新を迎えた。
☆歴史☆
天文15年(1546年)
空堀や柵などを備えた城作りの寺院の尾山御坊(金沢御堂)が建設され、加賀一向一揆で加賀国の支配権を得た
本願寺の拠点となる。
天正8年(1580年)
佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称して用いる。
天正11年(1583年)
賤ヶ岳の戦いの後、豊臣秀吉から加増を受けた前田利家が4月28日に入城し、尾山城と改称する。
天正15年(1587年)
バテレン追放令により除封されたキリシタン大名・高山右近が前田利家に呼ばれ、尾山城の大改造を行った。
(再び金沢城に改称されたのはこの頃と言われている)
天正20年(1592年)
利家の子、前田利長が再び改造を行う。
慶長7年(1602年)
天守が落雷によって焼失、代わりに三階櫓を建造。また、この頃から金沢城という名称が定着する。
寛永9年(1632年)
辰巳用水が城内に引かれる。
宝暦9年(1759年)
宝暦の大火に見舞われる。
明治6年(1873年)
廃城令公布。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城に選定された。