【甲斐善光寺】

甲斐善光寺(かいぜんこうじ)は山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。山号は定額山(じょうがくざん)。
詳しくは定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)と称する。
長野県長野市にある善光寺をはじめとする善光寺と区別するため「甲斐善光寺」(かいぜんこうじ)と呼ばれること
が多く、甲州善光寺(こうしゅうぜんこうじ)、甲府善光寺(こうふぜんこうじ)とも呼ばれている。
永禄元年(1558年)、甲斐国国主・武田信玄によって山梨郡板垣郷に創建された。開山は信濃善光寺大本願三十七世
の鏡空。
信玄は信濃侵攻を行い越後の上杉謙信と衝突し、現在の長野県長野市南郊において五次に渡る「川中島の戦い」を行う
が、弘治元年の第二回合戦では戦火が信濃善光寺に及び、信玄は自分の領国である甲斐へ本尊などを移したといわれ、
以後、川中島合戦の戦火は善光寺方面へ及んでいない。
上杉謙信もまた領国の春日山城下に本尊以下を遷しており、善光寺別当栗田氏も武田方と上杉方に分裂している。
最初の移転地は禰津村であったが、その後甲斐国内の法城寺を経て永禄元年に板垣郷へ移された。この地が移転先に
選ばれたのはこの附近に信濃善光寺の由来にかかわりのある本田善光についての伝説があるからだといわれており、
今でも甲斐善光寺の北1kmほどの場所には本田善光の墓とされる「善光塚」がある。
板垣郷は近世には板垣村となり、明治8年には里垣村の大字名。
昭和12年には甲府市善光寺町となり、現在に至る。