【花岳寺】

江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が浅野家菩提寺として創建した。
元禄14年(1701年)、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易と
なった。翌、元禄15年(1702年)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きた。
その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。
赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。
ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂浪士50回忌にあたり、大石良金(主税)
と関わった藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた義士塚が建立された。
明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に
指定されている。