【深谷城】

康正2年(1456年)に深谷上杉氏の上杉房顕が台地の北端部付近に築いたものである
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で開城するまで、深谷上杉氏の居城であったが、徳川家康の関東
入部に伴い、長沢松平家の松平康直が1万石で入城した。
その後、家康の七男松千代、兄の六男忠輝が継いだ。しかし、忠輝は慶長7年(1602年)に下総佐倉へ転封となり、
慶長15年(1610年)に桜井松平氏の松平忠重が入封したが、元和8年(1622年)上総国佐貫へ移封された。
その後酒井忠勝が1万石を領有して入封したが、寛永4年(1627年)に武蔵国川越へ移封となり、深谷藩は廃藩と
なり、寛永11年(1634年)に廃城となった。
現在は、城址公園として整備されているが、遺構は残っていない。模擬石垣・塀・堀が造られている。
ただし、隣接する富士浅間神社の周囲に外堀跡が残っている。