【大善寺】
開創は養老2年(718年)。行基菩薩が日川渓谷岩上で感得された霊夢−右手に葡萄を持ち左手で結印した薬師如来
と日光・月光菩薩の薬師三尊像を刻んで安置して開かれたと伝えられる。
奈良時代・聖武天皇の御代には鎮護国家の勅学と寺山号を賜り、52堂3千坊を数える隆盛を見た。
鎌倉時代には鎌倉幕府が甲斐・信濃国において棟別銭を課して本堂が再建された。
天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍に攻め込まれた武田勝頼が岩殿城に向かう時に大善寺に戦勝を祈願したが、
岩殿城主・小山田信茂の離反にあい、天目山で自決した。この一部始終を目撃した理慶尼が記した武田滅亡記が大善寺
に保管されている。