【長禅寺】

元は、甲斐西郡の国人領主である大井氏の領する巨摩郡相沢に建立された寺院(古長禅寺)で、大井氏の菩提寺で
あった。古長禅寺は真言宗寺院であったが1316年(正和5年)に甲斐国において臨済宗を布教させた夢窓疎石により
改宗されたという。
戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護・武田信虎の正室となり、武田信玄らを出産する。
大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。
晴信は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。
創建年代は、『甲斐国志』によれば信玄生母が死去した天文21年で、『甲斐国社記寺記録』によれば永禄年間である
とする。なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。
『国志』によれば、信濃安国寺から本尊の阿弥陀像が移されたが、武田氏滅亡に際した兵火により焼失したという。